連載:自作で迫る! 真空管風歪み研究室
はじめに
前回はLTspiceでダイオードクリッパー回路を作り、FFT解析で「ハードクリップは奇数次倍音が中心」ということを目で確認しました。
そして最後にR1を大きくしてソフトクリッピングを試したとき、波形の角が丸くなって「少し偶数次っぽいものが見えた」という結果になりましたね。
ここで疑問が残ります。
「対称なクリッピングなのに、なぜ偶数次が見えたのか?」
今回はその謎を解くところから始めます。奇関数・偶関数という概念を使うと、この疑問がすっきり解決します。そしてその先で、非対称クリッピングとダイオードの種類の話まで繋げていきます。
奇関数・偶関数って何?
まず言葉の定義から入ります。グラフで見れば直感的にわかります。
偶関数とは
グラフが縦軸(Y軸)に対して左右対称な関数のことです。
一番わかりやすい例はy = x²(放物線)です。x = 1でもx = -1でも、同じy = 1になります。左右が完全に鏡像になっている形です。

奇関数とは
グラフが原点に対して点対称な関数のことです。
一番わかりやすい例はy = x(直線)やy = sin(x)(正弦波)です。x = 1のときy = 1、x = -1のときy = -1、という具合に正負が反転します。

音の波形との対応
ギターのクリーントーンに近い正弦波はまさに奇関数です。正の半波と負の半波が上下対称(点対称)になっています。
そして重要な数学的な性質として:
奇関数を周波数成分に分解すると、奇数次の成分(1次・3次・5次…)しか現れない 偶関数を周波数成分に分解すると、偶数次の成分(2次・4次・6次…)しか現れない どちらでもない場合は、奇数次・偶数次の両方が現れる
この性質が、クリッピングと倍音の関係を理解する鍵になります。
対称クリッピングは奇関数のまま
前回作ったダイオードクリッパー回路(D1とD2を逆向き並列・同じ種類)は、正の半波も負の半波も同じ電圧でクリップされます。これを対称クリッピングと呼びます。
対称クリッピングされた波形は、もとの正弦波と同じく奇関数的な形を保ちます。 正の半波と負の半波が上下対称に切られるので、点対称の関係が崩れないからです。
したがって理論上、対称クリッピングでは奇数次倍音しか生まれません。これが「対称ハードクリップ = 奇数次倍音中心」という現象の数学的な理由です。
では第3回でR1を大きくしたとき、なぜ偶数次が見えたのか?
ここが今回の核心です。
第3回でR1を100kΩにしてソフトクリッピングを試したとき、FFTに「わずかに偶数次っぽいピーク」が見えましたね。あれはなぜだったのでしょう?
理由は主に2つあります。
理由1:実際のダイオードは完全には対称でない
LTspiceに内蔵されている1N4148のモデルは、正の方向と負の方向で微妙に特性が異なります。メーカーの実測データを元にしたモデルなので、完全に理想的な対称にはなりません。この微妙な非対称性が、わずかな偶数次倍音として現れます。
理由2:シミュレーションの数値誤差
LTspiceは有限の精度で計算しているため、完全に対称な回路でもごくわずかな誤差が生じます。FFTで見るとこれが小さなピークとして見えることがあります。
正直に言うと
「対称ソフトクリッピングで偶数次倍音が増える」というのは、厳密には正しくありません。
対称ソフトクリッピングで本当に起きていることは「偶数次倍音が増える」のではなく、「高次の奇数次倍音が減る」 ことです。
ハードクリッピングでは5次・7次・9次…と高次の奇数次倍音が強く出ます。これが「鋭くて耳に痛い音」の原因です。ソフトクリッピングにすると、波形の角が丸くなることで高次倍音が減衰します。
つまり:
ハードクリッピング → 高次倍音まで強く出る → 鋭く・耳に痛い音 ソフトクリッピング(対称)→ 高次倍音が減る → なだらかで聴きやすい音
これが「角が丸い = 温かく聞こえる」の正体のひとつです。
では真空管サウンドの「温かさ」はどこから来るのか
まとめると、「温かい音」には2つの経路があります。
経路1:対称ソフトクリッピング 高次の奇数次倍音が減る → 耳に刺さる成分が減る → 温かく聴きやすくなる
経路2:非対称クリッピング 偶数次倍音が増える → 音楽的に協和する成分が増える → 豊かで温かい音になる
そして真空管アンプが特別に「温かい」理由は、この2つが同時に起きているからです。
真空管は動作原理上、正の半波と負の半波で微妙に異なる増幅をします(本質的に非対称)。かつ、その歪み方がなだらかです(ソフトクリッピング的)。非対称であることで偶数次倍音が増え、なだらかであることで高次倍音が減る。この組み合わせが「あの音」を作っています。
この連載の目標は、アナログ回路でこの2つの条件をできる限り再現することです。
非対称クリッピングをLTspiceで確認する
では非対称クリッピングを実際に作って確認してみましょう。
回路の変更
前回の回路のD1とD2を異なる種類にします。
- D1(負の半波担当):1N4148(シリコン・Vf ≈ 0.6V)
- D2(正の半波担当):ゲルマニウム近似モデル(Vf ≈ 0.2V)
ゲルマニウムの近似モデルは回路図の空白部分にSPICE Directiveとして入力します。キーボード「.」を押して:
.model GE D(Is=1e-6 N=1.05 Rs=10)
その後D2の値を”GE“とします。

補足:ゲルマニウム近似モデルのパラメータについて
今回使った
.model GE D(Is=1e-6 N=1.05 Rs=10)の3つのパラメータは、それぞれ以下の意味があります。Is(逆方向飽和電流)= 1e-6 ダイオードが電流を流し始めるしきい値に関係するパラメータです。シリコン(1N4148)の標準値は約
1e-14で、今回はその1億倍に設定しています。これによってVfが低くなり、「早く歪み始める」ゲルマニウムの特性を近似しています。N(理想係数)= 1.05 電流-電圧カーブの立ち上がりの鋭さを決めるパラメータです。1.0が理想的なダイオード、実際のゲルマニウムは1.0〜1.1程度です。1.05にすることで比較的急な立ち上がり、つまりゲルマニウム特有の「粘り気」を表現しています。
Rs(直列抵抗)= 10Ω ダイオード内部の抵抗成分です。シリコンは0.5〜1Ω程度ですが、ゲルマニウムは内部抵抗が高めなので10Ωに設定しています。これがクリッピングの角をなだらかにする効果につながります。
ただしこれはあくまで近似モデルです。実際のゲルマニウムダイオードは個体差が非常に大きく、同じ型番でもVfが0.1〜0.3Vの範囲でばらつきます。LTspiceでの挙動は「傾向を掴む」ための参考として使ってください。
波形で確認する
シミュレーション実行後、出力波形を見ると負の半波は約0.6Vで頭打ち、正の半波は約0.2Vで頭打ちになっているはずです。上下非対称な波形になっていればOKです。

FFTで確認する
この非対称波形でFFT解析を実行すると、対称クリッピングとの大きな違いが見えます。
- 2000Hz(2次倍音)にピークが出る
- 4000Hz(4次倍音)にもピークが出る
- 奇数次倍音(3000・5000Hz…)も引き続き存在する
対称クリッピングでは2次倍音はほぼゼロでしたが、非対称にすることで明確に現れてきます。ここが今回の実験の一番の見どころです。

ダイオードの種類と音の違い
非対称クリッピングの仕組みがわかったところで、ダイオードの種類について整理しましょう。Vf(順方向電圧)の違いがクリッピング特性と音に直結します。
| 種類 | 代表型番 | Vf(目安) | 歪み始め | 音の傾向 | 有名な使用例 |
|---|---|---|---|---|---|
| シリコン | 1N4148 | 約0.6V | 遅め | 鋭くエッジが立つ | RAT、多くのディストーション |
| ショットキー | 1N5819 | 約0.3V | 早め | 少し柔らかめ | TS系改造など |
| ゲルマニウム | 1N34A・AA112 | 約0.2〜0.3V | 早い | 温かくなだらか | Fuzz Face風 |
| LED(赤) | 汎用赤色LED | 約1.8〜2.0V | 非常に遅い | 硬く、クリアめ | Big Muff改造など |
| LED(青・白) | 汎用青色LED | 約3.0〜3.5V | 極めて遅い | 非常に硬い | 特殊用途 |
Vfが低いほど「早く・柔らかく」歪む
Vfが低いダイオードは小さい入力信号からクリッピングが始まり、立ち上がりがなだらかになります。これが「温かい」と言われる理由です。
Vfが高いほど「遅く・硬く」歪む
Vfが高いダイオード(特にLED)は、入力信号がかなり大きくなるまでほぼクリップしません。そしていざクリップが始まると切れ目が非常に鋭くなります。これが「硬い」と言われる理由です。
LTspiceでのモデル定義
LEDのモデルも作ってみましょう。
赤色LED近似:
.model LED_R D(Is=1e-20 N=1.8 Rs=5)
LTspiceで3種類を対称クリッピングで比較する
シリコン・ゲルマニウム近似・LED近似の3種類をD1・D2とも同じ種類にした対称クリッピングで比較してみましょう。
シリコン(1N4148) ±0.6Vで鋭くクリップ。FFTでは奇数次倍音が高い次数まで強く出ます。
ゲルマニウム近似 ±0.2〜0.3Vで早めにクリップ。クリッピングの角がなだらかになり、FFTでは高次倍音の減衰が早くなります。「経路1」の効果が出ている状態です。
LED近似(赤) 入力1Vではほとんどクリップしません。V1のAmplitudeを3や5に上げて試してください。クリップが始まると非常に鋭いFFT特性になります。
以下は、負側がLED、正側がゲルマニウムにした場合。



まとめ
- 奇関数 = 原点対称 → 奇数次倍音のみ(正弦波・対称クリッピングはこれ)
- 対称ソフトクリッピングで偶数次は増えない → 高次奇数次倍音が減る
- 第3回でわずかに偶数次が見えたのはダイオードの非対称性と数値誤差
- 非対称クリッピング → 偶数次倍音が出る → 真空管的な温かさ
- 真空管が特別な理由 = 「非対称(偶数次増加)+なだらか(高次奇数次減少)」の同時実現
- ダイオードのVfが低いほど早く・柔らかく歪む(ゲルマ・ショットキー)
- ダイオードのVfが高いほど遅く・硬く歪む(LED)

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